Special Messageスペシャルメッセージ
初代SPEEDERの生みの親
松本 紀生氏からの
スペシャルメッセージ
開発担当時の苦労話~現代に向けて
シャフト開発のレジェンドでもある、松本紀生氏にお話を伺いました。
松本氏は、Fujikuraシャフトの礎ともいえる、SPEEDERシリーズの開発、
ゴルフシャフトの解析/分析等で使う、EI測定器の開発、振動数を計測するCTHの開発を行いました。
また、Fujikuraのシャフト開発には欠かせない、試打ロボットの開発、
フジクラゴルフクラブ相談室の創設にもご尽力しました。当時の思いなどを伺いました。
【開発】
松本 紀生(まつもと のりお)
1973年入社、2012年退職。
産業用ゴムの部門で技術・営業などを経てスポーツ用品の研究開発部に。「ゴルフ研究室長」として、試打ロボット、EI測定器、CTH(Club Timing Harmonizer)、フジクラゴルフクラブ相談室の立ち上げに携わった。
松本氏がシャフト事業に関わることになった転機とは?
1988年の年末に、大阪で工業用品の営業をしていた私にフジクラエンタープライズ(原町工場)へ出向の辞令が出ました。
当時スポーツ用品事業部の部長であった有田静生氏から「スイングロボットの製作」、「EI測定器の製作」など数十の指令を受け、ゴルフ研究室を設置しました。
今では考えられないが、有田氏からは仕事中にラウンドしても練習していても良いからゴルフに対しての知見を深めろと言われ、週に一度は近くの練習場で作業着を着たまま練習や試打を繰り返しました。
あっという間に会社の車で来て、作業着で練習している奴がいるって噂になりましたね(笑)
急に肩書が「ゴルフ研究室長」となったので、そんな噂も気にせず様々な研究、試打に没頭していました。
SPEEDERの誕生
1991年頃、サカセ・アドテック社のカーボン繊維で三軸織物を織れるようになったという情報が入り、福井県丸岡町まで足を運んだ。シャフトの素材として可能性があると感じ、サンプルを提供していただいたことが始まりとなった。
当時の技術担当の中里氏にそのサンプルを渡し、試作中のシャフトの手元部分に巻いてもらったことがSPEEDERの最初の一歩であった。三軸織物が使用されたシャフトが発売されたのは1995年Flyrun-LPというシャフト。その後1996年には Fit on!11シリーズの一本として Fit on!11 [SPEEDER] となり、1997年に新たなブランドとして、SPEEDER757、SPEEDER557などのウッド用シャフトやアイアン用シャフトとしてSPEEDER717などを発売した。
モデルの末尾7の数字は発売年の1997年から由来している。
その後569、661など数々のモデルを発売し、リシャフトブームを牽引することとなる。
特にSPEEDER757、661は世界中のプロゴルファーから大きな支持を集め、数多くのプレーヤーがトーナメントで使用し注目を集めた。
日本国内では月に2万本以上の販売も記録したこともあり大ヒットモデルとなった。
最初にFit on!11[SPEEDER]の原型となるシャフトを試作して、練習場で試打したときのことを今でも忘れられないと、当時の開発者松本氏は語る。
当時80台を出せるようになって、どんなクラブも打てるようになっていたのに、この試作品を打ってみるとチョロやテンプラや大きなスライス。全く当たらないし、とんでもないシャフトを作ってしまったな・・・・と思い、研究室の隅っこに置いておきました。
それから数日後、試打評価担当の白浜敏司プロがそのシャフトの存在に気づき打ってくれていたんです。
私には手に負えなかったシャフトでしたが、白浜プロが「右にしか行かないけどすごく飛びそう」と可能性を見出してくれました。
そこから、2年の間そのシャフトをベースに、プロと対話をしながら、試作を繰り返し、完成したのが初代SPEEDER。
その後、白浜プロがそのシャフトをトーナメントで使ってくれたんです。
この出来事こそが、私がモノの評価の大切さを芯から思い知らせてくれたと思っています。
EI 測定器の開発
1990年、当時のスポーツ用品事業部の部長であった有田静生氏から「EI(曲げ剛性)を測れるようにしてくれ!」と指示が出たことが始まりとなる。
松本氏の母校である姫路工業大学に協力を頂き、2年ほどの歳月をかけ最初の測定器が完成。
その一号機は、1本計測するのに20分かかり、計測する際の荷重をかけるのも手動だったところを、その後作った二号機では1本あたり5分と大幅に計測時間を削減。測定方法も加重センサー付き装置で下方に引っ張る構造に変更し自動化に成功した。
またシャフトを計測機に固定する方法などにも工夫を凝らし、より正確にシャフトのEI剛性を測れるようになっていった。
CTHの開発
(=Club Timing Harmonizer)
1990年、他部署から異動してきた松本氏にシャフトの硬さを測る、振動数計であるCTHを開発したのも、当時のスポーツ用品事業部長の有田氏からの指示の1つだったとのこと。
当時は、シャフトの硬さを表す指標はなく、数値として可視化したのが振動数であった。
CTHも社内の施設課と協力しながら、試作開発を繰り返し今の形になっていった。
2軸3関節スイングロボット
の自社開発
人間のように試打できるシャフト評価用のロボットを開発してほしいと言われたのが、有田氏から言われた3つめの課題。
1990年頃からアメリカに様々なスイングロボットを視察に行ったが、人間のスイング、クラブの動きとはかけ離れていて、あまり良いものがなかった。
国内で開発を進めようとメーカーに相談、依頼をしたところ、「数億円の費用が必要」、「早いスイングスピードに対しての制御ができない」などと断られてしまった。
そこで自社でロボットを作製することを決意。
人間のスイングを再現するうえで最も難しかったのがタメの部分。切り返しでのシャフトのしなりを生むのもこの動きです。
現状のロボットでは下半身を動かす技術は未だに出来ていませんので、肩の回転を「一軸」とし、肘を中心とした回転を「二軸」として設定することに決めました。
更に手首のローリング機能を追加し、❶肩関節➋肘関節➌手首関節を設定した。これが「二軸三関節」です。
人間の身体の構造に近づけることで、実際のスイングでのクラブの動かし方を再現させました。
そこからは試行錯誤を繰り返し、社内の施設課の人間や、他企業の同じ志をもったエンジニアの協力により、やっとの思いで完成したのが1995年10月、自社開発試打ロボットでした。
フジクラゴルフクラブ
相談室のオープン
1995年1月、東京都世田谷区大原にフジクラゴルフクラブ相談室を開設。当時の目的としては「ブランド認知を上げるためのショールーム」、「試打環境の提供」、「シャフト開発研究の場」としての意味合いが強く、一般の方からメディアの方まで多くの方が利用していました。
まで様々な形で利用されていました。
創設当初は試打をしながら、専属プロである白浜敏司氏のワンポイントレッスン受けられるサービスもあり、現在のフィッティングとは少し違った形での営業形態でした。
シャフトの種類やスペックが増えたことにより、当時では珍しいシャフトフィッティングへと進化していきました。